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概要

WLB19

渥美氏田畑氏今村氏神尾氏角屋氏山田氏司会進行出席者厚生労働省政策評価に関する有識者会議委員株式会社東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長渥美由喜氏●大阪ガス株式会社人事部ダイバーシティ推進チームマネジャー田畑真理氏●川崎重工業株式会社人事本部ダイバーシティ・グローバル推進課長今村弥雪氏●株式会社神戸製鋼所人事労政部企画グループ担当課長神尾真裕美氏●住友ゴム工業株式会社広報部主査角屋眞実子氏●富士通テン株式会社人事部山田知佳氏(社名五十音順)渥美女性の総合職は他にいらっしゃったのですか。神尾同期入社の女性は他に4人いましたが、その部署では女性の総合職の受け入れは初めてだったので、かえって気を配っていただけた部分もありました。渥美角屋さんはゴルフをやっていたので住友ゴムを選んだとお聞きしました。角屋入社したのは1991年。当時から住友ゴムのスポーツ事業部(現ダンロップスポーツ㈱)はゴルフ業界のリーダー的存在でした。就職活動で「入社したい」と相談したところ、レディースの企画開発部署が人を探していると教えてもらい、入社しました。同期は全体で100人。女性の総合職は4人で、他の3人は全員理系。私は文系の女性総合職の第1号だったと思います。渥美では最後に山田さん、お願いします。山田事情により自宅から通勤圏内での就職を第一希望としていたので地元企業に一度は就職しましたが、業務の広がりを求め新卒1年目の秋に富士通テンに転職しました。キャリア採用でしたので人事という仕事が明確に決まっており、入社後の仕事のイメージもしやすかったです。人事部なので女性は多くいましたが、総合職はまだ少なく2名程度だったと記憶しています。協力者を確保して出産や育児を乗り越えるの多くは、医師だったり、新聞記者だったりとハードワークと育児を見事に両立されていました。彼女たちを目の当たりにして、キャリア意識を改めることになりました。今村もともと専業主婦という選択肢が私の中にはなかったので、子どもが生まれた後も「どうすれば働き続けられるか」を一番に考えました。家賃は高めでも会社から30分以内の所に住み、困った時はとにかく人の手を借りました。ママ友同士で子どもを預け合ったり、子どもがインフルエンザにかかってどうしようもない時は実家の母に長野から東京まで来てもらったりしました。社内ではいかに効率良く働くかを意識し、時間が足りない時は昼休み返上で仕事をしました。同僚や上司の力も大きかったです。渥美私はワーキングマザーの上司の下で働いた経験があるのですが、時間に制約がある人の方が指示が明確で仕事がしやすかったです。「5時半までしかいないからこれとこれは5時までにしてね、これは明日以降でいいからね」という具合です。神尾さんもお子さんが2人いらっしゃいますね。神尾夫が関西で働いていましたので、結婚を機に東京から神戸に転勤を希望し、採用部門に移りました。出張が増えて体力的に厳しかったことに加え、仕事の成果がすぐには見えないこともあり、当初はけっこうつらかったです渥美結婚や出産は仕事の支障になりませんでしたか。田畑初めての子どもを宿した時、「あー、これで今までのような働き方はできなくなる」と思い、社内公募に手を挙げて、職住接近が図れる関係会社に移りました。新しい職場には迷惑な話ですが、ある種キャリアを諦めて復職したわけです。しかし、子どもを預けていた保育園が全国で初めて夜間保育を実施した認可園で、ここで出会ったママ友3