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概要

WLB19

座談会「いきいきと働く女性たちに聞く」製造業で活躍する女性が仕事について本音を語る2月27日、組織における女性の活躍推進に関心のある人を対象に、座談会「いきいきと働く女性たちに聞く」が県立男女共同参画センターで開催されました。女性の進出がどちらかといえば難しい製造業で働く女性たちが、その思いや体験談を語りました。プログラムの最後には、70人の参加者がグループに分かれてディスカッション。それぞれの意見をまとめ、発表も行いました。主催:兵庫県経営者協会女性産業人懇話会(VAL21)県立男女共同参画センターひょうご仕事と生活センター男性社会といわれる業界で働き始めて渥美本日は製造業で働く女性に集まっていただきました。なぜ男性社会といわれる業界に身を投じようと思われたのか、まず聞かせてください。田畑大阪ガスに入社したのは1986年。ちょうど男女雇用機会均等法施行の年で、それまで女性の総合職採用をしなかった大手企業がぽつぽつと雇い始めた、そんな時代でした。私は農学部出身なのですが、当時は研究室ごとに求人が来ており、初めて大阪ガスから求人がありました。しかも新規の冷凍食品事業のための採用で、その部門の研究員を雇うのは初めてだというのです。何もしがらみのない「初めて」の所であれば、自由度が高いかなと思い、入社しました。今村私は1990年の入社で、総合職としては同期が360人いました。そのうち女性は3人、他の2人は理系でした。バブルの時代だったので、いろいろな企業から声を掛けていただいて、お話を聞く機会も多くありました。その中でも川崎重工業は造っているものやプロジェクトのスケールが大きく、話をしてくださる先輩方もとてもおおらかでした。造っているものも、そこで働く人も魅力的で、こんな会社で仕事をするのは楽しいだろうなと思い入社しました。女性は少なかったですが、同期が3人いたということもあって、そんなにマイノリティーだとは感じませんでした。渥美神尾さんはどうでしたか。神尾大学時代は海外とつながりのある仕事をしたいと漠然と考えていましたが、就職活動を進めていくうちに、「長く働き続けたい」「どうせなら大きいことがやりたい」と思い始め、重厚長大系企業に気持ちが傾きました。実家が鉄を扱う町工場だったこともあり、1999年、神戸製鋼所に入社しました。最初に配属されたのが製鉄原料の輸入に関わる部門で、海外とつながるという希望もかない、良いスタートが切れました。2仕事と生活のバランス